political corectness

週末は、こちらにきてはじめての激しい雨が降り続いた。

夜の8時を過ぎないと暗くなるはずのない空もずっと暗かった。


rugbyのチケットを、平日にノリで買わされていたために、
もったいないので夜に出発しなければならなかったが、
なぜかひとりでいかなければならなくなり、かさももちあわせていなかったので、
正直行く気も起きなかった。

それでも、兄のように慕っているマレーシア人の助けもあって、
寮から傘をかり、1st yearのkiwiの一団についていけることになったため、
いちよは向かうことにした。

あんな激しい雨でも、ラグビーは展開されていた。

Highlanders vs Waratahs

ニュージーランドのチームとオーストラリアのチームの対戦であったために、オーストラリア勢へのブーイングは激しい。
しかも、観客はkiwiばっかりで自分のまわりは
大学1年生のkiwiどもで固められてしまっていた。
まわりは酔っ払っている連中でうざく、少しこわかった。

そういえば、高校時代の親しい友人はラグビー部だったから、やつらならもっと楽しめたに違いないと思いつつも、、帰り方は、一緒にきたkiwiの連中しか知らないから、我慢してそこにいることにした。


試合が終わり、帰りのバスに乗るためにバス停(といってもただのひとだかりだが、)に歩いているとき、おれはkiwiのなかでも唯一おれに気を遣ってくれていた青年を、自分の傘のしたにいれていた。傘をもっているのは、おれくらいだったし、なにより雨が激しかったし、試合中もいろいろと解説をしてくれたことへのお礼の気持ちもあった。

そのとき、まえにいた彼の友達と思われる2人の女性が上着を脱いで傘にしながら、彼に呼びかけた声が
なぜかおれの心に残った。
「あなた、ニュージーランド人でしょ!?」

彼女らは、単純に自分たちが濡れていてこの青年だけが傘にはいっていることに対し、冗談まじりで使った言葉でなにも悪意すらないし、おれもそう感じた。

ただ、たくさんのひとで押し込まれたバスのなかでkiwiにもみくしゃにされながらも、その言葉がずっと心に残った。

彼女らは、所詮まだなにも世の中のことを知らないピカピカの1年生だから、なにも感じなくて仕方ないだろう。自分もあの子の立場ならば、なにも気にならなかっただろう。


けれども、自分がはじめてマイノリティの立場になって、もやもやひっかかった。
political corectness。
普段の自分の言動、振る舞いというものは、political corectnessに根ざしたものなのだろうか。
Parochialismのわなにはまって誰かに知らず知らずのうちにいないだろうか。
そんなこれからの自分の生きるスタンスを省みるうえで、大事にしたい視点であった。

第一次大戦以降、世界平和に向けた政治的プロセスの研究をする学問としてうまれた国際関係論は、まさしくここに関係してくるものであると認識されたからだ。

昔、MBAをとったひとがいっていたことで、
日本のアントレプレナーはpolitical corectnessのためになにか新しいものをつくろうとするひとがまだまだ少ない、と嘆いていたことがなんとなくわかったような気がした。


やはり、rugbyに出かけてよかったとおもった。





と、あえてローテンションでかいてみた。笑


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  by shot_aizawa | 2008-03-03 11:28 | 生活

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