カテゴリ:思いつき( 7 )

 

「頂点での再会を!」

今日は、東京にきてから心身ともに過ごした大切な悪友の誕生日なので、やらなきゃいけないことをシカトして、久々に日記をかいてみる。




長らく会ってないけど、どちらとも9月生まれということで、去年はお互いの誕生日を一緒に過ごした(で正しいんだっけ笑)。たしか向こうには彼女がいたのに、なぜかおれと一緒に過ごしたいと言われた記憶あり笑。




少なくとも自分は、去年はインターンを終えたあと、留学にいけるようにとTOEFLの勉強ばっかやってて、質素な生活を送っていたが、誕生日の日に、一緒に飲もうと誘ってもらって、表参道の「中西」というcozyな店で一緒に飲んだ記憶だけは鮮明だ。それにしてもお店、グッドチョイスだよね笑。





そのとき、同じサークルでそれぞれ役割は違うけど、いろいろと辛酸をなめた友達2人も誘ってくれて途中から合流して男4人で飲み明かした。




自分を含めてこの4人はほんとに個性が強くて、それぞれ独自に進みたい道があってそれに向かって努力をしていて、おれは彼らを心から尊敬してるし、それぞれがどれだけ苦労を重ねてきたかを知っている、いわば戦友という仲。




現在は、ひとりは国内最大級の通信キャリアへ、ひとりは戦略コンサルの精鋭中の精鋭がそろうファームへ、ひとりはあつい商社へすすむことが決まっていて、最後のひとりはただのプーになっている笑。





その中のひとりは、一緒に起業に関する本の出版プロジェクトを手掛けた仲。

無事、原稿が完成して、出版できることになって、打ち上げで銀座の、蟹なべが食べれるお店に、共著の社長に連れて行ってもらったときに、彼に言葉が定かではないけれど、言われたこと。





「10数年後、君たちは、君たちの世代のトップリーダーとして日本を背負っていかなければならない。そこに到達するまでに、さまざまな困難に出くわすだろう。けれども、君たちはひとりじゃないんだ。すでに優秀な仲間に恵まれているだろう。これからどんな苦しいときに出くわしてもお互いを鼓舞しあって、必ずそういう人物になってほしい、ぼくが経験してきたように。」





といって、刷られたばかりの本の裏表紙に、それぞれがそれぞれの目標や熱いを想いを書きつづった。もちろん、今は自分にとってそれは宝物となっているけれども、そのなかで、その彼が書いた言葉。








「頂点での再会を!」









もともと、年齢の割に考えが老けているといわれていて、おれも正直それは否定できないけれども笑 今になっておもいかえすと、なかなかcatchyな言葉を彼は書き記したとおもう。





それに関連して、
高校3年のときに、地元の塾で、どうしてこんな優秀なひとが、こんな片田舎で教鞭をとってるんだと評判の、有名な先生に、個人面談で言われた忘れられない言葉がある。



そのときは、自分は医学部志望で、けれどもまわりにそういうひとがいなくて、模試でA判定でしかも上位30位以内にはいって喜んでいる友人がいる一方で、おれは彼よりも成績いいのに、D判しかもらえなくて、落ち込んでいるときにかけてもらった言葉。




「君は、ふつうの人が目指さないところを目指しているんだよ。だから、ひとにできない努力をしなさい。」





自分の心の中にある目標というものは、自分で決めたものにほかならない。
それがもし、ある分野の頂点であるならば、それ相応の壁は乗り越えなければならないだろう。




時には、
どうして自分だけ、こんな苦労をしなければならないのだろう、
どうして自分だけ、こんな努力をしなければならないのだろう、
と落ち込む日もあるだろう。




けれども、もし自分が本当にそういう場所に到達したいのならば、
「精一杯の努力をして当たり前」なのだ。



けれども、最大の幸福は、同じように必死こいてがんばっている仲間がいる、ということ。




彼らは、それぞれの道に邁進しているので、なかなか連絡はとりあえないかもしれない。
だから、時として孤独を感じるかもしれない。



けれども、それぞれの道を極めた結果、まためぐり会えるに違いないと確信している。


そして、数十年後、それぞれ風変りな人生を送ってきたけれど、



「おれたちの人生も悪くなかったよね。」



と一言ぼやきあいたい。


ただそのときからしばらくたって、そのとき彼女がもうれつにほしいといい張っていたひとがシングルで、そのとき、いまは自分の道だけ考えたいから、っていってたやつに彼女ができる、というところに人間の神秘性を感じぜずにはいられません。





以上、お誕生日メッセージとともに、自分への鼓舞のための日記でした。
[PR]

  by shot_aizawa | 2008-09-10 20:10 | 思いつき

自ら社会の奴隷と化すことでパラダイス鎖国に住むことを許された日本人①

日本から離れていた期間はたった4か月と少しでしたが、それでも成田空港に着きそこから家に帰るまでの電車の中から見えた風景、友人たちや世界的大都市東京を歩いていて目にうつった人々、それはまさに留学に出かける前とはまったく違ってみえる世界でした。


地下鉄がうまくのれなくなってて、下りる駅で降りれなかったり、ものさびしい気持ちに襲われることもありましたが、それでも自分が留学にいくまえよりもまったく別の視点をもててたことに、留学にいくことにしてよかったという気持ちをもつことができました。


それで、留学にいって決してなにか新しい力を身につけたわけではないけれども、「新鮮な目」というものをもっていたということを確信できた自分が留学しているときから再考し、実際の日本をみて、今の日本がどんな感じになっているか、感じたことを(あくまで)気ままにまとめてみたいと思います。


一言でいえば、「自ら社会の奴隷と化すことでパラダイス鎖国に住むことを許された日本人」、正確にいえば、「社会の奴隷となることを受け入れざるを得ない状況のなかで、それを否応もなく肯定することでパラダイス鎖国に住むことを許されたのが今の日本人」であるということです。


あくまで、私見です。しかも考えがまとまっているわけではなく、どちらかというと備忘録として記憶がうすれないうちに(もううすれてますが笑)書き留めておきたいだけです。


んで、今回はシリーズ第一弾「パラダイス鎖国」について。
こちらにいるときから、感じていた日本観をまさしくあらわしているような本が刊行されていたということもあって、日本に帰ったときに真っ先に読んだシリコンバレーの起業家海部さんの本の題名の一部です。
正直、本の内容は、著者の方が非常に頭の切れる方であるにもかかわらず、自分の子供に向けて書いたと思われる点、出版社の意向が強くあらわれただろうと思われる点、著者の方が多忙すぎる点で、内容的にも少し稚拙で完成度がさほど高くなく、そこまで満足できるものではなかったんですが、携帯電話市場の会社が日本に閉じこもっている話は面白かったし、なによりパラダイス鎖国というフレーズは非常にcatchyなものだったと思ったので、使わせていただきました。


んでなぜ、自分がそのようなふうに感じたかを自分の言葉で羅列的につづってみると、

・日本という国は、世界で最も健康的な食事を摂取している(めしがうまい)
・みんなおしゃれで日常で身だしなみに気をつかう
・美容院が洗練されている
・女の子がかわいい。(アジア圏で比較してみるとよくわかります)
・女の子は控えめでいろいろと気遣ってくれる
(おれの偏見もありますが、男>女という関係が根強く残っていて、男女の役割というものが区分されている点で的を外れていない)
・シャワーのお湯がたくさん出る
・家電製品のクオリティがとてつもなく高い
・サービス業の接客のクオリティがプロフェッショナルだ
・公衆衛生の水準が非常に高い
・自国でクオリティの高い映画をつくることができる
・漫画・お笑いという独特の娯楽がある
・世界中の人々を魅了できる文化がある
・世界的大都市「東京」の存在
・経済規模がそこそこ大きいので、日本市場だけでも十分食べていける金を稼げる(海部さんの本より)


と、レベル感を気にしていないで書いててまだまだいろいろありますが、とりあえず日本にいればなに不自由せず、いろんないいことが手に入ります。こっちにきた当初は、なぜ日本にいてあんないい暮らしができ、かわいい女の子とも話すことができるのに、こんなに苦労してまで、服装がダサくて、酒のんであばれたり、強気な態度をとったりするような女の子しかいないようなところで暮らさなきゃあかんのだと、悲嘆にくれたものです笑



そして、鎖国に関しては
・自分の世界に対する意識があそこまで遅れてるものだとは、ここにくるまで気づかなかった
・公衆衛生が低く、犯罪率の高い外国に旅行するよりは国内旅行のほうが楽しいと考えるひとが増えた気がする
・英語が話せると、1種のステータスを得た、とみなされるという世界でも珍しい感覚をもっている(現地語に対する関心が低い)
・理論を軽視する傾向がある
・グローバリゼーションの時代に相当自分から意識しないとほんとうの国際感覚が身につかない状況になっている
・メディアのクオリティは高いがレベルがとてつもなく低い。(自国の話題で話が完結している)
・メディアは、海外の事故が起こったときに「日本人の被害者はいない模様です」という単一民族的意識が顕著な発言をする
・昔は、商社にはいって実際に海外にいって原油プラントの採掘のために交渉したりするのが国際的ビジネスマンと考えられていたが、今は「日本に残って」外資系という肩書きをもって英語で外人とコミュニケーションをはかれることが国際的ビジネスマンにという意識になっている
。これに関連して40代くらいの世代は、ロンドンとかニューヨークで暮らしているだけで鼻高々な意識をもっているようだが、今の若い世代はそれを特別うらやましく思わない。
・さらにこれに関連して、海外に「本当の」移民者が少ない。海外にいってもその国の言語で思いをつづるのではなく、日本語で日本に情報を発信しようとするひとが多い。

てな、とこですか、とりあえず今回はここまで。
特に3点目の1種のステータスを得たという点と4点目、掘り下げると面白いんですが、それは後ほど。まあ、反応なかったらこのシリーズやめますが笑
[PR]

  by shot_aizawa | 2008-08-01 09:42 | 思いつき

精神と時の部屋

ついに、先週で授業が終了した。



まだ4か月も経っていないけど、ほんとにいろんなことがあって、わかったことは、
これまで日本が、そしてなにより自分がどれだけ世界から取り残されていたかということだった。


どうして、あれほど人・情報がいきかう大都市東京にいて気づかず、スターバックスがかろうじて1件あるような田舎でそんなことに気づくのかとおもうと逆説的な気がするけど笑


でもとりあえず、この留学生活をひとことであらわすならば、自分にとっては「精神と時の部屋」という言葉が適切な気がする。


こっちにきて一番苦労しているのは、授業っていう表面的な部分ではなく、新しい文化にどれだけassimilateさせられるか、ということだった。(今でもそうですけど。)


「文化を受け入れること」と「文化を判断すること」の違いの大切さに気づかされた日々で、これが一番難しかった。

日本にいたころは、hard workできるひとがなにより称賛される、というように表現しても間違ってはいない表現だと思うけれど、そういう文化があってでもそういう文化をもっているのは、アメリカや日本みたいな国であって、こっちではそんなことはない。personalityがなによりも大切で、リラックスムードを保てるかが鍵のような気がする。あくまで私的な感覚だけれど。


最初のころはどこにいっても「どうして、おまえはそんな急ぐんだ」っていうふうにいわれてる気がして、これまで日本で過ごして身についていた習慣ひとつひとつに実はしっかりとした意味があったことに気づけたことは非常に意義深いけれど、同時に自分の価値観というものが真っ向から否定されているような気がして、そうとうまいったのを覚えている。


特に自分は日本人のなかでもhard workerだったと思うから、あまりに違う文化にあわせるために、仕方なく昔の自分を故意に「抹殺」し、新しく自分を「創り出した」。だから正直言って日本で自分がなにしてきたかということをなかなか思い出せない自分がいる。

というか思い出したくないのかもしれない。

こっちにきて、日本の文化というものが世界で一番変わっているんじゃないか、ということに気がついたからだ。
マネージメントの交渉でも日本人は本音を表にださず、重要なことは公式の場ではでてこない、とあって、「根回し」のストラクチャーが書かれていて単独で日本に参入することの難しさを説明していたりする。

日本にいたときは、根回しはビジネスに限定される行為程度に思っていたけれど、実はプライベートでもそういうことはあって、例えばみんなでグループワークが終わったあとに飲みに行くという行為をとってもみても、(自分はこういうの好きなので否定する気がさらさらないけれど)日本人からしたら仲を深める程度の認識だけど、こういう習慣がそれぞれの「集落」をつくりだして外部からの参入障壁を高めている日本に深く根付いている習慣のひとつなのかもしれない、と思うと非常に気持ち悪く思えてしまったのだ。


んで話を戻すと、今の自分の状態は
たとえが古いけれど、感覚的にはバーコードバトラーの、ステージが変わった瞬間に似ている。これまでステージ1でレベルをためて相当強くなったけれど、ステージ2にいくときに、またレベル1にもどってしまい、それでもステージ1のときのレベル1よりは強いものの、あまりに弱くなってそれがもどかして仕方がない、という感覚。

けれども、そのままステージ2でレベルをためていけば、ステージ1で到達できるよりもはるかに強いステータスになることをわかっているので、
こっちでレベル1からスタートして、新しい武器を手に入れて、日本に帰ってまた昔のように六本木のバーにいって、これまで日本でしたことをすべて思い出すとき、自分は昔よりはるかに成長できた自分になれるんじゃないか、と思っている。




という、日記を書こうと思ったけれど、久々に落ちてしまった。



というのは、こっちにあわせるためにこれまでの思考方法とか価値観とか習慣というものを相当努力してあわせているけれど、結局自分の本拠地は日本にあるということが関係してるように思える。

つまり、いくらこっちで文化に適応して価値観を吸収したところで、自分の仲間とかは日本にいて、結局自分は日本人の価値観でしか判断されないことになる。

だから、こっちでがんばって身につけた「普通だと思われること」が、今度は日本では普通なこととして受け入れてもらえないからだ。


極端にいえば、こちらでリラックスムードをつくりだし、それを大切にできる人間になったとしても、日本にいったら、ただ遊んでるだけじゃん。っていわれる、というような感覚だ。(といってもそんなにリラックスしてるわけじゃないですよ笑)

そうしたら、おれはこっちのスタンスにがんばって適応したとしても結局日本に戻ったらまた適応できなくなるんじゃないかと、ふと恐怖心にかられてしまって落ちてしまった。






でも、絶対はいあがってやる。この数ヶ月で一番身についたのは根性だからだ。
[PR]

  by shot_aizawa | 2008-06-01 14:22 | 思いつき

理論の大切さ

この前、学生向けの町のガイドマップをみたら、娯楽施設の欄が2つだけあって、
ひとつが、カラオケ、もうひとつがビリヤード場、ただそれだけだった笑
しかも1個ずつかい!って思うと自分の故郷新潟が非常に都会に思えた笑


ということで、特に勉強以外やることがないけど、勉強だけやってるのもなんだかな~ということで、最近読書にはまっている。


ちょうど昨日読み終わったのが、ゴードン・ベルのHigh-tech ventures



silicon valleyの巨匠が、後世に向けて書いたハードウェアベンチャーが成功するためのプロセスが細かくケースを交えながら解説されている。

前半は非常にシンプルで面白く読み進められたけれど
後半は、技術的なことばかりで、UNIX!?聞いたことはあるんだけどね・・・レベルのぼくには理解できるものではなかったので、書評をかくつもりはなくて、書きたいのは「理論の意義」について。


授業用の普通の教科書を読んでいても、これでもかこれでもかってくらいに理論が登場して、これは日本では経済理論とか、理論そのものを扱う授業を取らないかぎりお目にかかれない光景だとおもう。


ましてや、本書のように、実際起業した人物がアカデミックとして十分通用するまで体系化して後世のために本を出版するというフレームワークは日本には存在しないが、その理由について最近思うことがある。



ぼくからするとこんな当たり前のことまで理論化してなんの意味があるんだと思うくらい、理論が整っている背景には、米国をはじめとして、彼らはもともと自分の存在そのものに疑問を投げかけなければならないほど異質性に満ちている世界で生きてきたために、常に物事を単純化して、複雑な状況に対してどうにか向き合う必要があったからだと思う。


シンプルにまとめることで、「あ、実はこれって意外に簡単なことなんじゃないの!?これなら俺でもできそうだからやってみよう。」と多くの人間を魅了し、理論がその分野への参加者を引き込むカタリストになっているんだということだ。そういう意味において理論は非常にプラグマティズムだと思う。



例えば、異文化コミュニケーションにおいても、彼らはそれぞれの国について詳細に特徴をまとめて交渉にどう役だ立てるか、ということを意識している。


一方で、日本人がそれをみると、「どうせそんなステレオタイプの人間なんてひとりもいないんだから、むしろ無駄なバイアス与えるだけで障害になるんじゃない!?」と思ってしまうひとが多い気がする。というか、自分はこっちにくるまで、そう思っていた。


けれども、しばらく過ごして、これは、同質性そのものがもともと保証されているいかにも日本人らしい考え方であることに気がついた。結局、どの人間ももともと自分の想定内にカテゴライズできるので、はじめから個人ベースで見ることができる条件が整っている。だから、そもそもも物事を単純化する習慣が身についてないのも自然な気がする。


異質性が前提の人々にとっては、
おおまかな特徴をとらえているからこそ、自分のこれまでの経験からは一切想像できない出来事に直面しても、事前にフレームワークを知っていることでそれを既知のことように捉えることができたり、単純化された世界に立ち返ることで、われに返り、また冷静に取り組むことができるようになる。
そうやって自分のなかで異質性を消化した後で、はじめて個人として関われるようになる、という時間軸にずれがあるのだ。


理論として単純化されているからこそ、個人に軸を提供することができ、多くの人が「最初の一歩」を踏み出すことができる。
ようやく理論の大切さを自分のなかで考えることができた気がする。


(補足)
といっても、日本人がしょぼいということを言いたかったわけでは決してない。
ゴードンベルの本では、「技術を高める最良の手段はそれをもっている有能な人材を集めることだ」と人材の価値をトップにおいているが、彼も、マーケティングの項で、MBAをもってるような高度な体系的知識を有している人材を雇うのもひとつの有効の手段といっておきながら、皮肉なことではあるが理論を知らない代わりに現場感でずばぬけている日本人に勝るマーケッターは実はいない、というような記述をしている。それなら、最高のマーケッターを育てることができる風土にいながら、MBAにあこがれて取得後、さも洗練されたような気になる日本人が多いのはさらなる皮肉なのか、と一瞬思ったけれど、90年代の話であるし、他の考え方を学ぶ上では重要な意義があるので、ここの議論には立ち入らないことにする。
[PR]

  by shot_aizawa | 2008-05-29 17:54 | 思いつき

出国して1か月

今日で日本を飛び立って、1か月が経った。(こっちにきて1か月は正確にいえば明日だけど。)

海外旅行するときを思い浮かべれば容易にわかるとおもうが、
1日1日常に新しいことにめぐり合い、経験を積み重ねていく過程で、
一日あたりの時間はほんとうに長く感じる。

特に、朝7時くらいに夜が明け、夜の8時過ぎに日が沈むこの国ではなおさらだ。
やっと1か月かという気になる。

けれど、振り返ってみれば、もう1か月過ぎてしまったのかという気にすらなる。



普段、日記を書かない分、留学生活中での出来事や思い出はしっかりつづっていこう。



思えば、日本での生活から考えるとまったく違う思想をもった人々が集う国を選んでしまった。
これは後々かいていくとおもうが、それなりの目的があった。けれども、時々不安になるときもある。果たして自分の選択は正しかったのかと。


けれど、人生って単純じゃなくて、その単純じゃないところに面白みを感じたりする。

そんなこと考えながら過ごしていたときに出会った言葉。
いつからスティーブ・ジョブズにこんなにはまってしまったんだろう。笑

ジョブズ流にいえば上の話は「点と点をつなぐ」ことだけど、この下の言葉も励みになり、これからもそうだろう。結果を出すまでは。






I've always been attracted to the more revolutionary changes.

I don't know why, because they're harder.

They're much more stressful emotionally.

And you usually go through a period

where everybody tells you that you've completely failed.



より革命的な変化に、私は魅了され続けてきた。

自分でもなぜだかわからない。

なぜなら、それを選べば、さらなる困難が待ち受けてるからだ。

より多くのストレスを心にかかえこむことになる。

みんなに、おまえは完全に失敗した、

と言われる時期もおそらくあるだろう。
[PR]

  by shot_aizawa | 2008-03-12 19:23 | 思いつき

年齢という要素

さて、最近少しずつ自分の置かれている状況を冷静にみれるようになってきたように思います。

まず、ぼくが泊まっている学生寮を完全に勘違いしていたことがわかったことが大きいです。
というのは、1st year studentがたくさんいて楽しいということがホームページの記述から、日本にいるときアサインしたのですが、実際ここでいう1st year studentとは、ぼくのようなこの国をはじめて訪れる交換留学生が利用するものではなく、現地のNZの大学1年生が利用するものだったということです。


この国は、大学が8つしかなく、しかもすべて国立なので、高校卒業後、生まれ故郷をはなれ
一人暮らしをするのが普通なんです。それで親元を離れ、友達とも離れなければいけない状況におかれている、彼らの救済手段として、楽しいレクリエーションがたくさんある学生寮という存在が意味を増してくる、というようです。


なので、先週までは、そういった寂しさを紛らわそうとしているのか、毎晩遅くまでアルコールを飲んで叫んでいる声が聞こえ、ぼくが昼おきて(笑) フラットの外にでると通りには、アルコールビンの破片がそこらじゅうにあるという状況で、正直けっこー怖かったわけですが、


結局、そういった子供っぽさをもっている彼らとおれは今までかかわろうとしていたのかと思うと、言語が通じる通じないかかわらず、うまくかみあわなくて当然だったと振り返ることができます。なにせ、日本にいる方々よりも一足先に4年生になったぼくと、新1年生では、精神年齢がちがって当然だからです。




という長い前置きのあとに、今日書きたいのは、逆説的ですが、
「年齢」を気にすることの価値のなさについてです。


ぼくは、毎日食事を共有の食堂でとっているのですが、1st year studentでも、ぼくにやさしく話しかけてくれるひとが2人います。それは、スリランカ出身のひととフィジー出身のひとです。

といってもどちらも10年近くこの国に住んでいるので、完全になじんでいるわけですが、
ここで結構深く考えてしまいました。


ほかにも、少数ですが、international studentがいて、彼らは2年生からphDの生徒まで様々ですが、みんな親切なんですが、


なんとなく、スリランカやフィジー出身のひとたちが優しいのは、きっと自分がこの国にきた当初、自分自身がいろいろと困難な経験をしたからだろうな、と思うからです。
ほかのinternational studentも同様だと思います。



やはり年をとっているほうが、包容力のようなものを感じますが、
結局、人間性って年齢よりも、個人の原体験からいかに学んで生かしてるかという別の要素の影響のほうが大きいと最近強く感じます。



実際、この国の19歳のほうが、ぼくよりもずっと大人っぽく見えるので年齢を気にする機会ってそもそも存在しないし、これまで会話をはじめるときに年齢をきいてた自分が、まったく意味のない質問をしていたな、と思っています。


言動や振る舞いだけをみれば、そのひとが優れたひとかどうかわかるし、尊敬にあたいするからです。人を尊敬できるかどうかに、年齢という要素は一切はいる余地はないですよね。




これは、日本にいたころにハーバード留学記で有名な岩瀬大輔さんの少人数の座談会にいったとき、彼がいっていたことに少しつながるものを感じたような気がしたのでこのエントリーを書いています。
というのは、彼がPEファンドで今は名前が変わっていますが、リップルウッドにいたころ、一番驚いたことが、

「アメリカ人のマネージングディレクターが、一切年齢をきかずに先輩よりもいってることが妥当な自分の意見を受けて入れてくれ、それ以来機会があるたびに自分に意見をもとめてきたという姿勢だった」
ということだからです。



就職活動をしているひとが、
「結局社会人でも、本当に人間的に立派なひとか、そんなにたいしたことないひととかいるもんね。」みたいなことをいってた記憶がありますが、まさしくつながるものがあると思います。

だからこそサークルの友人がいってたように
「会社の若手社員でも、ただの兵隊としての気構えをもっているひとと将軍としての意識をかかさずもっているひとがいて、その将軍を見抜けるかが、自分の選択に強く影響する」ものなんでしょう。立場がまったくちがっても、同じ人間というベースでその人のことを洞察することが大事なんだなってことです。



なんか、つらつらと長くなってしまいましたが、要するに言いたいことは、

今ここで自分が苦労して得るであろう知見というものが、
今後誰かの役に立ち、それでその人が救われるならば、
いまここでぼくが困難な状況に直面できることは
貴重なことであり、素敵なことなんだろうということです。
[PR]

  by shot_aizawa | 2008-02-27 16:24 | 思いつき

あきらめ

やっとあきらめがつきました。

はっきりいって、昨日までは、
まさしく "life is lousy."って感じで、

日本にいるときは特に感じなかった、
「人生、生きてるだけで丸もうけ!」って言葉の重みを感じつつ
やっぱり人は一人では生きていけないんだな、って単純に痛感しました。


日本を飛び立つまでは、正直言って、空港までのことしか考えられなくなっていて
こっちにきたら、必需品があまりにも欠けていて己の準備の不備さと単純なことすらなにも伝えられないあまりの自分の無力さに
ただただ悔しさを感じるのみで呆然としていました。


but, I don't know whether this situation is fortunate or unfortunate,
there is no Japanese around me.
So I can completely understand it is useless to avoid useing English.
That's my resination!

ってことで、打撃くらいながらも右ストレートを放たなきゃいけない状況なので、

繰り返し苦笑いされながらも、無事に携帯を入手し、チューターの番号をひとつ手にいれました。
まだ、歓迎会とかないので、友達ゼロ。。笑

でもまじ、彼が神のような御方で、寮のコンピューターで日本語をつかえる裏技を教えてくれたので
いまブログを書けています。


今日は、course approvalという授業の履修登録をしてきました。

2万人いる生徒の約7割が留学生という異様な状況なので、システムもいろいろと日本とはちがって、
取りたい授業は、その授業を担当している教授のところにいって
ひとつひとつ彼らの許可を得なければなりません。
しかも、事前に申し込んだ授業で取り消したい授業も、断りにいかなければならないという面倒さ、、

ということで、ぼくも駒場の3倍くらいの広さはあるんじゃないかと思われるキャンパス内を走りまわって、無事に登録でき、IDカードもゲットできました。

少しずつおれもやればできるやん、みたいな感じで
本来の自分を取り戻してきた気がします。



要は、どうせ9か月しかここにいる人と関わらないんだから、
どんなに惨めな思いをしても耐えるし、いくら恥じかいてもかまわないし、
もう存分にかっこ悪い姿をさらけだしてやろうじゃないか、と決意しました。
地はいつくばって生きてるほうが、おれらしいな、やっぱ!


ということを書こうと思っていた矢先、コンピュータールームのカードをもっている担当者を待っていて通りすがりの係のひとだと思った女性に彼の居場所をきこうとしたら(いまはまだ自由につかえない。。)

なんと、、、それはビビアンでした。
衝撃の遭遇ですね。おれにとってだけだけど。笑

内輪ネタかな、これ。

ということで、愚痴からはじまる日記ではなくて、
今度からは、こっちの街並みの美しさとか明るいことを書こうと思います。
[PR]

  by shot_aizawa | 2008-02-15 18:34 | 思いつき

SEM SKIN - DESIGN by SEM EXE