カテゴリ:留学( 2 )

 

a hunger for self-growth

たとえmixiに日記をかいても絶対みてくれないので、まさかチェックしてくれてるとは思わなかった友人が、手持ち無沙汰だったときに暇つぶしにみてくれたようで(笑)

この前の日記に対するレスポンス記事を、かいてくれたおかげで、少しアクセス数が増えていたようなので、最近思っていることを。




先週、マーケティングのプレゼンがあって、折しも発表の日が自分の誕生日と重なっていたので、自分への誕生日プレゼントとなるよう気合いをいれて臨んだ。


けれども、なぜかプレゼンが終わった時に、先学期のような達成感を感じることはできず、原因不明のもやもや感が頭に残っていた。



先学期と比べるとプレゼンのために取り組んでいた期間が短かったからだろうか。

けれども、航空産業に関するリサーチから含めればだいぶ時間は費やしていたはず。



テーマは、「air NZのkiwiによる国内フライトを増やすためのキャンペーンを考える」という、留学生がまじっているのに、明らかに戦力としてみなされていないテーマ設定で、memberもaudienceも自分を除けばkiwiしかいないアウェー戦。


けれども、
突然襲いかかってきたピンチをチャンスにかえ、

確かな貢献度を示して、信頼を得、

まじでcrapな英語だったけど、

みんなうなずきながら聞いてくれ、

本番では、少し笑いもとれ、

先学期に比べれば、はるかな進歩だったとおもう。



だから、自分でもあのもやもや感は想定外だった。




それとも、終わったとき、体が衰弱していて脳みそが動いていなかったからだろうか。

本番3日目くらいから、朝も夜もミーティングしていたせいで、夜PCに向かっていると体が痙攣しだして、形相は死にそうな顔をしていたせいか、
隣の部屋のフラットメートからは、crazyなひととして見られ、彼の眼は点になっていた。


けれども、それは、
彼らが30分でできることを3時間もかかってしまう自分のしょぼさが原因だから、3人しかいないチームのひとりとしてやるんだから、そんなのやって当たり前だと思っていた。ただそれだけの話。



じゃあ、なんですっきりしなかったかというと、

それは、自分への憤りだとおもう。



海外からのネイティブスピーカーすら最初の数か月は全く理解できない、これって英語と呼んでいいのか、と疑いたくなる、この国のアクセント(しかも南部だから相当強し)に慣れてきたからだろうか。

ほかの発表を聞いても、全然たいしたこといってないように感じられて、正直がっかりした。


それに対して
来た頃にくらべれば、語学力の上達は見られるものの、そんなレベルのひとにすらふんばってしがみついていくことしか考えられない、自分のうんこな英語力とその他スキルのしょぼさにはさらにがっかりした。




おれは、今までこの程度のレベルで張り合う次元ですら、いっぱいいっぱいだったのか。
精一杯がんばってて、必死なんだー。とかいうことで、それなりに満足を得ようとしていたのか。



いやいや、おれがこの程度のレベルで埋没していいわけないでしょ、と。

海外にきてたかだか、7か月だから、英語がうんこなのはまだ許せる。
けれども、意識として、こんなところでsurviveするので精一杯として、埋没していたこれまでの自分は許せなかった。


そんな意識で生きて、自分なりに精一杯がんばってきました、って帰ってくることを期待されて、いろんなひとに、送り出されたわけじゃあ、絶対ない。



今月のはじめに、この本を読んだからだろうか。

Leaving Microsoft to Change the World: An Entrepreneur's Odyssey to Educate the World's Children

社会起業家をテーマとした本として、非常に面白い本だと思ったが、
それとあまり関係なく、
ある一節で、単純に感動したのに加え、自分の置かれている立場に対する自分の姿勢と理想の姿勢とのギャップをついてくるような感覚を覚え、図書館で読んでいたけれども、もう涙が止まらなくなって大号泣してしまった。


少なくとも、そんな意識だったら、彼には二度と会ってもらえない。ということを確信できた。
けれども、まだ手遅れじゃない。
そうおもって、プレゼン準備がんばたけど、それでもまだまだだったようだ。



そろそろ留学生活にくわえて今後の進路をちゃんと考えなければいけない時期にきているので、いろいろと考えてしまった。


正直、ここで学びたいと思っていたことの80%はもう既に学べている感覚があるので、ここに居続けたいかと言われたらNOだ。
けれども、日本に帰りたいかといわれたら、もう1年くらい別の国でアウェー戦を戦いたいという気持ちのほうが強い。
まあ、これ以上親に金銭的負担はかけられないし、現実的な理由をあげていけば、実現性はゼロですが笑。


とりあえずいまは、少しでもうんこな英語がよくなるよう、目の前のことをひとつひとつこなしていくしかないな。



ということで、別に冒頭の友人に、手持ち無沙汰で読んだんかい、おのれは!って言いたかったわけじゃなくて笑、実は彼の日記を読んでふつうに泣いて、感謝しているってことをさりげなく伝える手段がほしかったのと、このブログ読んでくれるなら、就職活動の情報を教えてください!ってのと、今日からサマータイムが導入されて時差が1時間が拡張されましたっていいたかった。


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桜が咲きました。もう花落ちてるかもだけど笑
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  by shot_aizawa | 2008-09-28 14:22 | 留学

Intrinsic Value

ちょうど一息つけている間に留学の目的を自分に再度認識させておこう。


一般に留学の目的が明確化されているかどうかで留学中の生活が有意義になるかどうかが決まるからはっきりしているほうがいい、ってよく言われるけれど、

それ以上に目的がしっかりしていないと特にきたてころは自己を見失いやすいので、
「自分を取り戻す」意味で、目的はしっかりしていたほうがいいのだと思う。


そんななかでぼくの「主」目的は、「intrinsic valueを見抜く洞察力を養う」ことだった。
物事の本源的価値を果たして自分が見抜けているか、他人や己の本源的価値を見抜けているか、そしてそれを生かして今後自分がどんなふうに生きていくのか、という壮大すぎる(笑)テーマを設定した。


自分は大学2年のころから、自分のもっている”タイトル”の意義を分析して、そこから戦略的にどう昇り詰めるかを構築し、実践してきて、それなりにexcitingな生活を送ってこれたと思っている。


あのころは、いろいろな分野の起業家に突撃するときは、相方とタッグを組んで、
彼の巧みな切り込みで相手の気持ちをつかみ、終盤で落ち着き払った自分が落とす、
といういいテンポで
なかなか普通の学生では体験できないようなことをし、叡智を肌で獲得できた。

特に、彼が原宿の交差点で、某会社の取締役をナンパして、後日自分と一緒にうってかわってまじめに話しこんで、面白い学生だなという興味を与えられたおかげで、
帰るときにもらえた香水は今でもお気に入りだ☆でもこれは叡智じゃあないね。笑



そのころから感じていたのは、会えば自分がいかなる人物かをわかってもらえ評価してもらえるけれど、そもそものきっかけはタイトルのおかげで引き寄せることができていて、そのタイトルを差っぴいて自分の価値をvaluationしたらどうなるんだろう、ということだった。



これは、3年の秋を過ぎて、就活をはじめた友人が、
自分から大学の肩書きとっちゃったらどうなっちゃうんだろう、
っていっていたことと同じようなことだと思うので、
うちの大学の学生ならば誰でも一度は考えてしまう問いなのかもしれない。



そういった意味で、personalityだけで人を判断するこの国は最適だと思えたし、これまで1分1秒を無駄にせず、いつ死んでも後悔のないよう走り続けた生活をすることを心がけていた自分にとって、自分はもしかしたら1000年生きるかもしれないといえば言いすぎだけれども、leisureこそを第一に考えるまったく正反対の価値観をもつこの国の人々からさらにいろいろなことを学べるとおもえた。



実際、肩書きを「捨てて」こっちにきてよかったなと思っている。



思えば昔から自分は、さほど肩書きを気にしない性分で高校のころと根底にある生き方は変わってないように思う。




高校のときは、ちょうど学校の近くにスケートボードのパークがあり、
そのころはスケボーといえば、単純にかっこつけるためにヤンキーやいきがってる野郎のようないわば野蛮なひとがやるイメージがあって、
スケボーをやっているというだけで、こいつらとは近づくまい、
と思われるのがぼくのまわりの常識だった。

けれども、自分は現実をみずにそういったうわさやprejudiceだけで物事を判断するのが嫌いで、なにか新しいことがやりたいとおもったぼくは、友達と2人でそのパークでそういったひとたちからスケボーを教わることにした。


そこにいたひとたちは、もちろんふつーのひともいたけど、
昨日までムショにはいっててよー、やっとポリが出してくれたぜー、

なんていってるこれまで関わったことのない「人種」のちょっとこわいお兄さんもいた。



彼らとかかわっていくなかで一番感じたのは、イメージとまったくちがう現実だった。

彼らは、よくスケボーのビデオでお目にかかるような、
スケボーの技をさらっと決めてかっこつけてるふりしてるけど、

実際には、ズボンをまくってみると、それまで練習で板が足に負わせた無数の傷跡があったり、
なかには勢いをつけて飛び込んで失敗して、路面に体をひきずり、背中の皮がほとんどむけているひとなどもいた。

それでもそういった努力のあとを隠して、まわりから変な目で見られていても
人にどう見られようが気にすることなく、何事もなかったように振舞っている彼らは非常に立派に見えたことを覚えている。


いちよ県内では一番いい学校に通っていたので、そういうひとたちからみれば、
いいとこ育ちのおぼっちゃんがやったところですぐあきらめるだろう、と見られるのも当然で、
冷やかし半分で見られていたことも覚えている。


だから彼らに認めてもらえるためにも、必死で練習した。

やせてるのに、上半身はだかでやったり、ときには技に失敗してジャンプ台から背中向きに落ちたり、板がすねを直撃したりして、しばらくその場でうめきながらうずくまっていたのがなつかしい。


最終的には
彼らと一緒に楽しい時間を過ごすことができ、
「おまえらの高校のやつのような頭のいいやつって口先だけでなにもしねえからまじうざぜぇだけだけどよ、おまえらだけは認めてやるよ」って言われたときは、個人のpersonalityが評価されたみたいでうれしかった気がする。


いかにも田舎の高校生らしいエピソードだけれども、
その経験は今にして思えば十分に生きていることを実感できる。

自分が切れると恐いと思われているのはそのときの影響もあるかもしれないが笑。


肩書きを差っぴいたおかげで多くのリターンが得られたからだ。

物事の本源的価値を見抜き、また人からpersonalityだけをもとに判断されても高い評価を得られる人物になりたいとおもう。


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  by shot_aizawa | 2008-03-24 10:40 | 留学

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